その強気の言説が示す“自信過剰”という構造的リスク
香港メディアが「中国では日本製はもはやボイコットする価値すら残っていない」と報じた。
かつて日本ブランドが生活に広く浸透していた時代とは異なり、現在では中国ブランドが多数の分野で主導権を握りつつあるという。
たしかに、中国の家電・EV・スマートフォン分野は国内市場の巨大さを背景に急拡大しており、消費者の意識も「海外ブランドより国内ブランドを選好する」流れが強まっている。
だが、この“日本製はもう眼中にない”という語り口には、強気な雰囲気に反して、いくつか看過できない前提が含まれている。
中国製が伸びている? 当然だ。伸びなければおかしいほど巨大な市場規模と政策支援があるのだから
中国の家電・EV・スマートフォン市場は、世界でも突出して大きい。
何億という人口を抱え、需要も供給も自国内で循環できる国であれば、
数字が伸びるのはむしろ自然な結果であり、伸びなければ逆に不自然だ。
加えて、中国政府は新産業育成に対して莫大な補助金を投じ、
国内企業にとって極めて有利な構造をつくり続けてきた。
これだけの規模と支援があれば、市場の数字が大きくなるのは当然であり、
そこまでは“成功”というより“前提条件”である。
問題は、「国内で伸びた=世界水準を超えた」と短絡的に読み替える思考そのものだ。
これは論理のすり替えに近く、
国内市場の巨大さがそのまま技術力の評価に転化されるわけではない。
日本から見れば、中国製は依然として“玉石混交という名の地層”でしかない
中国製の存在感が増しているのは事実だが、
その品質と信頼性のばらつきは依然として極端だ。
「良いものもあるが、悪いものもとてつもなく多い」という状態で、
成熟しきった品質文化を持つ日本からすると、まとまりのない巨大地層のように映る。
Amazonを覗けば、この現実は瞬時に理解できる。
そこには、誰も聞いたことのないブランド名のガジェットが無数に並び、
異常に高い評価がついているものの、レビューの不自然さから
レビュー買収が常態化していることが容易に推測できる。
さらに、
説明と仕様が一致しない商品が届く
数回使っただけで壊れる
安全基準を満たしているのかすら怪しい
こうした事例は珍しくない。
もちろん、Amazonに並ぶ一部の粗悪品だけで中国全体を語るべきではない。
だが、これが“中国製の未だ根強く残る実態”を把握するための分かりやすい指標であることもまた事実である。
重要なのは、これらが「評価軸」ではないという点だ。
むしろ、
中国製は依然として酷い製品が多く存在するという“実体観測”として、消費者が日常的に触れる現象だ
ということに意味がある。
この現実を差し置いて、
「中国製は日本製を完全に超えた」と語るのは、やはり前提がずれている。
数量が伸びたことと、品質が成熟したことはまったく別の話である。
白物家電やテレビで勝って「技術覇権」を語るのは、短距離走で勝ってマラソンの勝利を宣言しているようなもの
白物家電やテレビの市場は、すでに完全にコモディティ化した領域である。
かつては技術革新が激しく、メーカーごとの差がはっきりしていたが、
現在では主要部品も製造工程も標準化され、
製品としての“差別化余地”はほとんど残っていない。
この種のカテゴリーでは、
技術力そのものよりも
どれだけ大量に、どれだけ安く、どれだけ素早く作れるか
という“工場力の勝負”に変質している。
したがって中国がここで優位を取るのは、国の規模と補助金の組み合わせを考えれば極めて自然であり、
決して“技術で日本を追い越した証拠”ではない。
むしろ、コモディティ市場での勝利を理由に「技術でも勝った」と語ってしまうのは、
市場構造を理解していないか、理解したくないか、そのどちらかである。
本当に技術が問われる領域では、中国はまだ“競技場の外”に立っている
生活家電のような成熟市場とは異なり、
高い信頼性・精度・耐久性が求められる産業領域は話がまったく別だ。
半導体製造装置
精密計測機器
医療機器
高精度工作機械
産業インフラ技術
こうした分野は、数十年単位の蓄積と、
膨大なノウハウ・試作・改善を繰り返してこそ成立する世界である。
机上の設計だけでは真似できず、
材料技術・加工技術・制御技術がすべて噛み合って初めて動く。
そのため、単に市場規模が大きいだけでは参入できず、
国家が補助金を積んだところで即座に追いつける性質のものではない。
この領域では、日本企業と欧米企業が依然として圧倒的な存在感を持ち、
中国は“挑戦者”の位置から脱しきれていない。
むしろ「どこから追いつけばよいのかすら見えない」ケースも少なくない。
コモディティで勝ったからといって、技術覇権を語るのは早すぎる
要するに、
コモディティ市場での成功と、技術市場での優位は全く別の指標である。
中国が白物家電やテレビで強くなるのは当然の帰結だが、
それを根拠に「日本製は過去のもの」「中国製が世界基準になった」と語るのは、
議論の階層をすり替えているに過ぎない。
中国が本当に“勝った”と言えるのは、
高度技術・高度信頼性の領域で世界標準を押さえ、
日本や欧米が依存せざるを得ない立場を築いたときだ。
現状は、そこに至る前段階、あるいはまだその入口にも達していない。
そして決定的に痛い事実:世界的サービスをほぼ生み出せていない
中国が本当に世界を驚かせたサービスは、
TikTokただ一つと言っていい。
他はどうか。
Huaweiは制裁で息切れ。
TencentのWeChatは中国圏以外では“ただの連絡手段”ですらない。
BYDは国内では強者だが、世界的なブランドとは呼び難い。
つまり、中国は
「世界の工場」にはなれても、「世界の基準」を作れていない。
巨大市場で勝った経験を、そのまま世界に持ち出そうとするが、
外の世界は国内市場の論理で動いていない。
ここを理解しない限り、中国は永遠に“国内チャンピオン”のままだ。
中国製が“完全勝利”などと言える段階にはまだ達していない。日本製は終わっていないどころか、むしろ優位な領域を確実に保持している
今回の「日本製にはもうボイコットする価値すらない」という中国側の論調は、
中国が台頭したという現象の一側面だけを拡大し、国内市場での成功をそのまま“世界的勝利”に読み替えてしまったところに最大の問題がある。
確かに、中国製はここ十数年で飛躍的に存在感を増した。
しかしその品質と評価の実態は依然として玉石混交であり、安さと勢いで市場を押し切っている領域が多い。
とくに家電・テレビ・スマートフォンのような成熟し切ったコモディティ市場では、規模の大きさと価格競争力で勝てるのは当然の帰結であり、それは“技術力そのものの優位”を示す証拠とは言い難い。
一方で、精密機械、半導体製造装置、医療機器、産業インフラなどの高度な技術が要求される領域では、日本は依然として強固な地位を保ち続けている。
ここでは「安く作れるか」ではなく「高精度・高信頼性の技術を持っているか」が問われるため、短期間の生産能力拡大だけで追いつける世界ではない。
むしろ中国は、この“本丸”である高度技術領域において、日本にどう食い込むかという課題を未だに解決できていない。
さらに重要なのは、中国が世界的に通用するサービスやブランドをほとんど創出できていないという点だ。
世界市場で圧倒的成功を収めた中国発のプロダクトは、実質的に TikTok しかない。
Huawei や Tencent、BYD も国内では巨大だが、世界規模で「誰もが知る存在」になっているとは言い難い。
つまり中国は、巨大な国内市場では勝てるが、世界市場で基準を作り、文化や習慣に入り込む“世界標準”を築く段階にはまだ到達していない。
この状況で「日本製はもう価値がない」と言い切るのは、自信というより、自国の立ち位置への誤認に近い。
そして、自国を過大評価し、他国を軽視し始めた国家が辿ってきた歴史を振り返れば、それがどれほど危うい態度であるかも明らかだ。
むしろ日本としては、中国がそうした“勝利宣言”に浸っているほうが都合がいい。
相手が油断し、こちらを侮るほど、日本が粛々と積み重ねる技術や品質の優位が長く維持されるからだ。
中国がそう確信してくれるなら、あえて否定する必要はない。
その慢心こそ、日本の競争力にとって長期的に最も有利な環境を作り出す可能性がある。